第6回コンサート


コンチェルトグロッソでは、毎回のコンサートで、当日の演奏曲や楽器、演奏家がより身近に感じられるようなプログラムをお渡ししています。
以下は、今回のプログラムです。
すてきな音楽がより身近になれば幸いです。



コンチェルトグロッソ第6回コンサート
「舘野泉ピアノリサイタル」へようこそ


舘野泉さんは、炎の博記念堂と深い縁のある演奏家です。
コンチェルトグロッソのメンバー(C)も、コンサートの実現を
少し興奮気味に友人(ゲスト:G)に話しています。
開演のベルが鳴る前に、二人の会話を聞いてみましょう。


コンサートへようこそ
G 緑のまぶしい季節になりました。陶器市が終わって
  有田の町にも静けさが戻り、今日は存分に音楽を楽
  めそうです。
C 5月は木々に囲まれた記念堂が最も輝く季節です。
  緑の空気とともに、コンサートを楽しんでいってくださいね。
G 舘野泉さんは、記念堂と深い縁があるそうですね。
C ステージ中央のピアノは、スタンウェイ社のもので、
  1997年の記念堂設立のときに舘野さんに選んでいただいた
  ものです。ご自身が弾かれるのは3度目です。
  ピアノも喜んで美しい音色を奏でるでしょう。

今夜の曲目は? T
G 今夜のプログラムは、全部左手だけで演奏されると
  うかがいました。
C 舘野さんは3年前に病気で倒れ、その影響で右手の自由が
  利きません。でも、音楽を奏でるのに両手も右手もない、
  世界には左手だけのピアノ曲もある、との考えのもと、現在も
  意欲的に演奏活動に取り組まれています。実際に、18世紀
  のバッハの時代から、左手のためのピアノ曲が作られている
  のですよ。
G それは知りませんでした。
C 1曲目のタカーチュ(1902〜)は、ハンガリーの作曲家で、
  「トッカータとフーガ」は1951年に作曲されました。
  この曲について舘野さんは、北欧の秋から冬にかけての
  朝の風景―深く色づいた落葉が寒さで凍てつき、その一枚
  一枚の忘れがたい印象を連想する、と印象を語っています。
  2曲目のスクリャービン(1872〜1915)は、ロシアの作曲家
  で、ピアニストとしても有名です。
  「左手のための小品」は、彼がピアノを練習しすぎて右手を
  痛めたときに書かれたものです。
  スクリャービンのピアノ曲は、ショパンやリストのロマン風の
  流れを汲みながら、独特の美しさにあふれています。
G スクリャービンのように、左手のための曲はなんらかの事情
  で右手が使えなくなった人のために作られたものが多いの
  でしょうか。
C そうとは限りません。
  左手というと意識しますが、まずはピアノの音に耳を澄ませ
  てください。きっと、両手とか左手とか全く意識せず、舘野
  さんの奏でる音楽そのものの美しさが味わえるはずです。
G わかりました。
  3曲目の「タピオラ幻景」のタピオラとは何のことですか。
C フィンランド語で妖精の住む森のことです。  
  吉松隆さん(1953〜)は、舘野さんのためにフィンランドの
  自然をテーマに5つの舞曲を書いています。
  フィンランドは、湖と森の国。そして、音楽の国です。
  多くの作曲家が、この国の自然と歴史を作品に著していま
  す。特にシベリウス(1865〜1957)は国民的存在で、記念
  するホール、公園、博物館があり、ユーロが導入される
  以前は100マルカ紙幣を飾るほどでした。
  フィンランドの人々は、音楽を愛し、暮らしの一部として
  親しんでいます。舘野さんは、フィンランドに住んで40年に
  なります。
  舘野さんにフィンランドの森にいざなってもらいましょう。

今夜の曲目は? U
G 後半は、小泉八雲(こいずみやくも、本名ラフカディオ・ハー
  ン、1850〜1904)の『怪談』から題材を取ったものですね。
C 作曲者のノルドグレン(1944〜)は、舘野さんのために多く
  の曲を作曲しています。1970年代に、八雲の『怪談』を
  テーマにしたバラードを作り始めました。
  ノルドグレンが日本に留学し八雲の著書に興味を持った
  ときに、舘野さんから作曲の依頼を受けたそうです。  
  耳なし芳一、おしどり、お貞、雪女、無間鐘、むじな、ろくろ
  首、安芸之助の夢、食人鬼、十六桜と順に作られ、そして、
  左手のための「振袖火事」「衝立の女」「忠五郎の話」が
  加わりました。
G 今日は、その3曲が演奏されるのですね。
  どんなお話なのでしょうか。
C いずれも謎めいた物語です。
  「振袖火事」は、1655年の明暦の大火に由来する物語です。
  若く美しい侍に一目で恋した娘は、侍と同じ柄の振袖を
  着て再会を待ちわびます。しかし再会は叶わず、娘は病に
  伏せて亡くなる。想いを留めた振袖は、手にする娘たちを同
  じように恋にわずらわせていく。
  その情念を恐れた僧侶が、弔うために振袖を火に投じます
  が、火は風にあおられて寺に燃え移り、江戸の町を焼き
  つくすのです。
  「衝立の女」は、衝立に描かれた美しい娘に恋した若者の
  物語です。若者は絵の娘に想いを募らせました。老人の
  教えを受けて娘の名を呼び続けると、ついに娘が絵から
  抜け出て姿を現しました。若者は娘と永遠を誓い合い、
  衝立はいつまでも空白のままでした。
  「忠五郎の話」は、蛙に命を奪われる若者の物語です。
  忠五郎は夜ごと、仕える旗本屋敷を抜け出し、橋のたもとに
  向かう。不審に思った仲間が問い詰めると、水中の宮殿で
  美しい娘と婚礼を挙げ、逢いに行くという。しかしこの話を
  した後、娘は二度と姿を現さなかった。忠五郎は打ちひし
  がれ、病に伏せってしまう。しかし実は、この娘は川に住む
  蛙の仮の姿で、忠五郎の生血を吸い取っていたのです。
G どれも、切ない恋情の物語なんですね。
C 小泉八雲は、セツ夫人の語り聞かせる怪談に日本人の心の
  深層が色濃く投影されていることに気づき、1904年に
  『KWAIDAN(怪談)』をアメリカで刊行しました。
  私たちがよく知っている「耳なし芳一」や「雪女」も、八雲の
  眼を通して記されたものです。異邦人だったからこそ、日本
  の伝統や文化に気づき、国内外に広く知らしめることができ
  たのです。
  そして今度は、舘野さんの依頼で、フィンランドの作曲家に
  よって日本の叙情世界が音楽で表現されました。
  ぜひ堪能してください。
G 怪談がどのように解釈されているか、楽しみです。
C 最後のシュールホフ(1894〜1942)は、プラハ生まれの
  作曲家でピアニストでした。政治的関心が高かったため、
  ナチス政権下で捕われ、ビュルツブルグの収容所で亡くなり
  ました。
  「ピアノのための組曲」は、第一次大戦で右手に障害を
  負ったホルマンという人のために、1926年に作ったもの
  です。
G 今夜の曲は、舘野さんと作曲家の協同で作り出されたもの
  も含まれているのですね。それを縁のある記念堂で聞くこと
  ができる。
  これまでのコンチェルトグロッソのコンサートとはひと味違う、
  新たなピアノ音楽を発見できそうです。
C ピアノは、作曲された背景、演奏家の情感を知ることで、
  新たな音色に触れることができます。
  今夜のコンサートが、新緑の息吹とともにみなさんの心に
  残ることを期待しています。
 
●演奏家からのメッセージ

ひさしぶりの炎の博記念堂で

1990年代、私はよく有田に足を運びました。
はじめは、忠次館(深川製磁チャイナオンザパークギャラリー)でのコンサートが多く、北欧5カ国の演奏家たちを数多く紹介することができました。
1997年に炎の博記念堂が完成してからは、有田のすばらしい自然環境を一望にしながら、音楽ができる幸せを幾度となく味わいました。記念堂のスタンウェイは私が選定させていただいたもので、その点でも深い愛着を覚えます。
3年前に脳溢血で倒れ、私の人生は激変しましたが、左手でのピアノ演奏にふたたび生きる喜びを見出し、その音楽をみなさまに紹介できる幸せを強く感じております。
コンチェルトグロッソのみなさまにも深くお礼を申し上げます。

舘野 泉  
フィンランドの音楽の愉しみ

フィンランドは新緑の季節を迎えると、待ちわびた人々が街に出かけ、自然に親しみます。そこに音楽は欠かせない存在。舘野さんも、北部のオウルンサロ音楽祭の音楽監督を務めておられます。
首都ヘルシンキでは、8月下旬から2週間にわたって、総合芸術祭ヘルシンキ・フェスティバルが開催されます。千人規模のコンサートホールから街角の仮設ステージまで、街中が音楽で満たされます。
コンチェルトグロッソも、炎の博記念堂から、いつかこうやって有田の街に音楽があふれ出すのではないかと期待しています
いつもよい音を響かせていること。
音楽を聴かせるホールにとって、
一番大事なことです。
いつもよい音を身近に感じること。
音楽を愛するのに一番必要なことです。

今宵は、それが一層強く
感じられたのではないでしょうか。
舘野泉さん、
そして、お出かけくださったみなさまに、
心より御礼を申し上げます。

   
プログラムにおつけしたポストカードです。
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